回っているようだった。

100歳の祖母が「100年生きてるけど、こんな地震は初めて」と。*1

地震が発生した時、私は溝の○の丸井の5階にいまして。相当揺れました。すぐに店員さんが「お客様こちらへ」と誘導してくれまして、店内の椅子に座って揺れが治まるのを待ちました。
今までに経験した事ないほど長い間(数分ではありますが)揺れてるので、「この建物は耐震構造になっておりますので、大丈夫です」と言われても若干不安でした。店員さんは若いお嬢さんが多く、自分達も怖いだろうに懸命にこちらを落ち着かせようとしてくれ、プロだなあと地震で揺れてる最中に考えていました。
外の安全の確認が出来るまで待機していたのですが、携帯は全く繋がらず。
すぐ近くにいた方の携帯は繋がっていたので(この時に宮城は震度7だと知りました)、私の携帯のSBはダメだな…と。*2旦那は職場、息子はたぶん家、娘は学校で部活中という状況で、特に心配だったのは古い校舎の学校*3へ通っている娘…。

15分ほどして、外への誘導が始まって外へ出ました。
丸井の前と、隣のビルと、駅を繋ぐペデストリアンデッキの前まで人がたくさん集まっていて、ざわざわとした雰囲気。
1階の中で、大きい余震に遭遇。壁際に体を寄せて地震が治まるのを待ちました。
自転車で帰宅中も、何度も携帯で連絡を取ろうとするもののやはり繋がらず。帰宅すると、娘は自転車で無事に帰宅していました。
家にいた息子は取りあえずリビングのテーブルの下に潜ったけれど、熱帯魚の水槽が激しく揺れ、中の水がバシャバシャと零れたのでコンセントを抜いて辺りを拭いていたと。
娘がいた校舎は、渡り廊下の繋ぎ目が激しく軋んでいてとても怖かったと。
旦那の勤務先は学校なので、こういう状況になると帰宅はできません。学校は住宅街にあり、会社から帰宅できない人の為に学校を解放するという状況ではなかったのですが、何があるかわからないので。携帯は繋がらないので固定電話で連絡をくれて無事を確認。

母はたまたま、私と同じ丸井の8階にいたそうなのですが、友人とともに床に座り込んで待機していたそうです。
父が家から一番遠い所にいて、戸塚から横浜までバスで6時間かけて移動。横浜駅で一夜を過ごすつもりだったそうですが、東横線が動いたので帰宅できました。
弟夫婦の無事を確認。叔父夫婦がいわきへ旅行中でしたが無事を確認。千葉在住の伯父の無事も確認。

我が家は停電はなかったのですが、30m程離れたマンションとアパートは夜中近くまで停電が続いていました。
東京電力が供給区域(富士川以東)に対する電力需給が極めて厳しいという発表をしているので、(特に今日の夕方から厳しくなるようです)懐中電灯用の電池を買いに行ってきます。


皆様と皆様のご家族、皆様に繋がる全ての方が無事でありますように。

*1:関東大震災の時は、生家のある秋田にいたそうなので

*2:後で、ドコモからドコモへも繋がらず、SBもauも繋がらず、ウィルコムだけが普段と変わらない状況だったと知りました。

*3:もうすぐ築50年